「折りにふれたる名なれやとて」―癸卯2023年11月4日公演 東川光夫師「松風」によせて

        宝生流教授嘱託 長谷川操


 能「松風」の世界の重要人物は在原行平である。直接、舞台に登場することはない。しかし、彼にかかわる恋物語が登場人物によって語られる。彼はいったいどのような人物だったのだろう。

 在原行平は平安時代初期から中期にかけて実在した公卿である。彼は平城天皇の第一皇子阿保親王の息子で、弟には在原業平がいる。天長3年(826年)に、父阿保親王の奏請により兄弟は在原朝臣姓を賜与され、臣籍降下した。血筋からすれば、天皇の孫であり、非常に高貴な身分である。

 弟の業平は美男の代名詞とされ、「伊勢物語」の主人公「昔男」に同一視されたり、「古今和歌集」の仮名序で紀貫之に「その心余りて言葉たらず」と評されたり、歌人としても名高い。この華やかな業平と比較するといささか地味な存在ともいえる行平だが、物語世界ではなかなか重要な人物なのである。

 行平は、臣籍降下後、順調に昇進し、特に民政に才を発揮したが、文徳天皇のとき須磨に蟄居を余儀なくされたという。この事件は正史には記載がないが、貴族社会においては衝撃的なできごとであったことは想像に難くない。須磨蟄居後、やがて赦されて帰京し、その後昇進を重ね、公卿に列せられ、最後は正三位中納言に至り、寛平5年(893年)76才の天寿を全うした。高貴な身分の貴公子や英雄が他郷をさまよいながら試練を克服し、やがて尊い存在になっていくという貴種流離譚を、まさに具現化したような人物である。そして、この行平の須磨蟄居を物語に生かしたのが、およそ百年後の「源氏物語」であるということは、広く知られている。

 「源氏物語」の主人公は帝の皇子である。その皇子が源氏姓を賜り臣籍降下し、恋の浮名を流しながら昇進してきたが、政敵の右大臣から無実の罪に陥れられる事態が生じ、その余波を恐れた光源氏は自ら須磨の地に退去することになった。やがて須磨から明石に居を移した源氏は、そこで明石の君と出会い、結ばれた。その後、都に戻った源氏は栄達への階段を昇り詰めることになる。さて、都から離れた鄙の地に生まれ育った明石の君は、高貴な源氏から思いを寄せられても困惑するばかりであり、初めのうちは親が勧めても拒み続けていた。心惹かれるようになっても、彼女の心は思い悩み続ける。それは、源氏に一時は寵愛されても、いずれは捨て置かれる定め、と自らの身分・立場を弁えていたからである。この明石の君の源氏への恋慕と諦めの二つの心、これが能「松風」につながっていくのである。

 須磨に流された行平が海女と歌を交わした話は「撰集抄」(13世紀中)にみられるが、海女の名は記されていない。無名の海女から、なぜ松風・村雨に代わったのか。身分違いの悲恋物語ならば、姉妹二人との深交より、一人の女と愛し合ったという話の方が純愛感は増すであろう。それがなぜ二人なのか。

 能「松風」では、松風・村雨は同吟で恋の執心を訴え、動作はシンクロして涙を流す。しかし、その後の展開では、恋の妄執に囚われた松風が立木の松を行平と見て喜ぶことに対し、村雨は浅ましい、恋の妄執だと切って捨てる。村雨は、行平が戻ってくることも、都に呼び寄せてくれることもないのをわかっている。感情と理性。強い恋慕の情と深い諦念。この二極分化した思いが行平に愛された女の心である。二人の女を舞台に登場させての対立的な言動によって、一人の女の内面が視覚的に、より鮮やかに立ち上がってくるのである。ちょうど明石の君が光源氏に惹かれながら、避けていたように。そして、女の複雑な心の動きをさらに強く描き出して見せることになる。能「松風」において、海女が二人登場してくるのは必然なのである。